地元のお母さんたちの手で建てた手作りの「別所幼稚園」

学校法人別所幼稚園 種村キヌ初代理事長のお話
(平成7年地元情報誌の談話より)

 故種村キヌ初代理事長は、明治39年生まれで、別所3.4丁目自治会長も務めた方です。  昭和27年の「子供を護る会」発足当時から、現在の幼稚園をつくるまで先頭に立ち40年間、幼稚園経営に情熱を注いでこられました。

 “別所幼稚園は六大学から始まった”と言えるでしょう。 「子供の家」を建てたい!と私たち「別所子供を護る会」の親が企画して、 埼玉会館で六大学の音楽会を開催しました。昭和29年頃ですね。 六大学って、あの野球の早稲田、慶応、明治、法政、立教、東大の学生さんたちですよ。
切符は、その頃だから50円だったと思います。とに角、埼玉会館を満杯にしたい―と、私たちは夢中になると何もわからなくなる方ですから、川越や大宮の 高等女学校に、女学校という女学校を回り歩いて、音楽会の切符を売り歩いて800校ぐらい売りました。
 別所1丁目の人で、もう亡くなりましたが、山岡太郎さんがおん大将で一切のことを取り仕切ってくださってね。理事さんたちは、自分のお友達に売るぐら いで20枚か30枚、私は学校の生徒が買ってくれましたからね。全部で千数百枚売れました。
 理事さんたちも一生懸命でね。暖房が無いから火鉢を持ち込んでね。みんなの手作りの五目御飯を学生さんたちが、「お袋の手作りの味だ」って喜んでくれ ました。
 とに角10万円集まって、その頃だからそれで建築資金の一部はできたんですね。土地の方は、私の家の前の関口高範さんから借りたんです。戦争中、関口 高範さんが兵隊に行かれて、そのあとお母さんと姉さんの二人だけで毎日田んぼに行っていて留守になる。そこへ、どういうわけか、女の子を関口家が預かっ たんです。 ―出征兵士の家は大事にしなくてはいけない― と言うので、私がその子を預かって、家の子と同じにお風呂に入れ、食事をさせて面倒をみました。
 そんな事があって、その関口家のおばあちゃんが、「種村さんには土地は欲しいだけ使ってもらう」と言ってくれました。子供のために貸しましょう― と いうことで、近くの通りに面した方を429㎡ほど借りました。
 昭和30年六月に「子供の家」が完成しました。10月には「別所幼稚園」として認可を受け、社会福祉協議会の会長をしていた世木康夫さんに初代理事長 をお願いしました。下山懋先生に初代園長を頼み、園歌まで作っていただいたのです。

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