昭和30年10月、別所地区有志の皆さんの熱意と協力によって誕生した別所幼稚園“四つ葉”の別所幼稚園地域の皆様にあたたかく見守られながら、発展していく幸せな“四つ葉”の別所幼稚園園児はみんな幸せです。みんな明るく、みんな楽しく、知性と心と体の成長を目指して頑張っています。
3つの財産を大切にした別所幼稚園の教育
学校法人浦和富士学園
理事長・園長 田島道子
別所幼稚園 理事長・園長の田島道子と申します。私は、挨拶に代えて本園の3つの財産を紹介いたします。
1つめは、この別所幼稚園は、「次の次代を担う子どもたちの健全育成こそ日本の再建」という崇高な教育の理想をかかげ、営利を目的としない多くの父母や地域の方々の熱い思いが生み出した幼稚園であります。この理想を受け継ぎ、学校法人浦和富士学園に発展させた皆様方のご努力と足跡は、正に、本園第1の宝です。用地の獲得、園の移転、園児の募集、教育活動の手助け等々、どれ1つをとっても語り尽くせない奥の深い幼稚園の歴史です。
2つめは、歴代園長先生をはじめ教職員の皆様方の献身的な保育への情熱です。歴代理事長先生の理想の幼稚園教育の実現に向けて行われた教職員への教育に対する厳しい指導は、一人ひとりの教師の力量を高めました。その成果が教員のたゆまぬ研修へと引き継がれ、常に子どもたちを大切に思い、子どもたちを最優先にして、別所幼稚園ならではの教育を創って参りました。おゆうぎ会の衣装作り、手づくりの教材や環境等の取り組みは、その一例です。工夫された保育、子どもたちに対する愛情、教師間の組織的な活動は、教師一人ひとりが胸を張って実践できるものばかりで、本園の伝統になっております。この脈々と流れる教育の理論と実践こそ、本園の財産です。
3つめは、何と言っても保護者の皆様の本園の教育に対する深い理解と、あたたかい支えでございます。平素の教育活動へのご理解ご協力はもとより、園行事へのお手伝いや周年事業の企画・運営など様々なご支援をいただいております。この保護者の皆様の支えは、すべて子どもを中心に据え、教師とともに本園の教育を創る大きな力であり、本当に尊い財産であります。別所幼稚園は、この3つの財産を大切にして、きめ細かく愛情いっぱい、創意工夫がいっぱいの教育を日々実践しております。
教育目標
集団生活の中でかかわり合う様々な体験を通して
- 豊かな人間性と生きる力の基礎となる心情、意欲、態度を育てる
- 基本的な生活習慣の基礎を育てる
- 一人ひとりに行き届いた保育を推進する
目標とする幼児像
- 明るく元気な子ども
- 思いやりのある子ども
- だれとでも仲良く遊べる子ども
- よく考え工夫する子ども
建学の精神
本園は、戦後の荒れ果てた子どもたちの環境を守るために立ち上がった「別所子どもを守る会」の活動を機に、地域に生きる人間性豊かな子どもの育成を目指して創設されました。
安全で整った施設
- 登降園時には安全を守るためのガードマンを配置しています
- 園舎周り・園庭・園内に防犯カメラを設置し子どもたちの安全を守っています
- 危機管理マニュアルによる外部侵入者対策等のセキュリティにも力を入れてます
子どもたちを守るための頑丈な出入口
工夫した楽しい掲示と冷暖房完備の各クラス
何処からでも見やすいクラス表示
子どもが使いやすい清潔感のあるトイレ
子どもが使いやすい高さの手洗い場
広々とした冷暖房完備の遊戯室
元気に遊んだあとは洗い場で清潔に
広々とした図書コーナー
預かり保育室
別所幼稚園のあゆみ
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1952昭和27年
- 8月5日
- 別所小学校において子供会発足
- 8月11日
- 別所子供を護る会発足
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1954昭和29年
- 4月
- 別所子供を護る会 三笠宮様 御来園
- 7月
- 関口高範氏より土地453m²借用
- 9月
- 中村吉之助工務店とともに子供の家建設を企画
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1955昭和30年
- 6月11日
- 子供の家落成(107m²)
- 8月6日
- 東京文化放送より「子供会運営苦心談」放送
- 10月17日
- 別所幼稚園認可、園児数8名(開園記念日)
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1956昭和31年
- 3月
- 別所幼稚園 第1回卒園生(9名)
- 7月
- 郵政局長賞授与(子供会貯蓄運動に参加)
- 9月29日
- 文部大臣賞授与(優秀なる子供会の組織及び活動)
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1957昭和32年
- 5月
- 県教育委員会松本教育長より「流不而和」の額贈与される
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1960昭和35年
- 6月
- 栗原埼玉県知事より「心に太陽を持て」の額贈与される
- 9月
- 西九州水害被災地に救援物資を贈り朝日新聞紙上に推奨される
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1963昭和38年
- 6月
- 43m²増築、園児80名
- 12月
- 秩父郡槻川中学校に顕微鏡2台を寄贈、感謝状を受ける
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1964昭和39年
- 10月
- 新潟地震被災地に支援金を贈り、新潟県白根市教育委員会より感謝状を受ける
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1966昭和41年
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1969昭和44年
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1970昭和45年
- 11月
- 千葉市の病院に筋萎縮病患者(白幡中生徒)を見舞金一封を歳末慰問として贈り、浦和市より感謝状を受ける
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1972昭和47年
- 11月6日
- 敷地453m²借地分購入、隣地敷地333m²を関口高範氏より無償借用
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1973昭和48年
- 3月
- 仮園舎において保育を行う
- 12月
- 鉄筋園舎落成(385m²)
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1977昭和52年
- 9月24日
- 学校法人化をめざして、認可のため現在地1.116.82m²を購入(別所大里167番1号)
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1978昭和53年
- 2月
- 新園舎建築着工
- 7月16日
- 鉄骨672.42m²の新園舎落成、園児定員数240名
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1980昭和55年
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1981昭和56年
- 3月31日
- 学校法人認可
- 4月24日
- 北側敷地買収388.24m²
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1985昭和60年
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1986昭和61年
- 1月13日
- 園庭に園のシンボルの樹“けやき”を和田理事長より寄贈される
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1989平成元年
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1995平成7年
- 3月
- 園舎改築のため、仮園舎として和田会館259.24m²及びJR高架下敷地793.22m²利用権の譲渡を受ける
- 4月
- 園舎改築着工
- 9月30日
- 園舎改築完成、園児数270名
- 11月19日
- 創立40周年記念表彰及び園舎改築竣工式(敷地1.507.14m²、園舎1.030.42m²)
白鷺の写真家田中徳太郎氏の作品(玄関に展示)、和田理事長より寄贈される
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1996平成8年
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1997平成9年
- 7月
- アメリカ人ザック氏ラボ教室参観・指導
うめぐみベランダに日よけ用テントを設置
- 10月
- 中国吉林省中学校教師見学のため来園
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1998平成10年
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1999平成11年
- 5月
- 職員室前に足洗い場を作る
- 9月
- 園庭遊具「フラワーカップ」購入
少子化対策臨時特別交付金により園児用図書の充実を図る
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2000平成12年
- 4月
- テレビ埼玉より「虫歯予防の幼児への指導について」取材を受ける(5月に放映)
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2001平成13年
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2002平成14年
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2003平成15年
- 1月
- 中国富士三語幼稚園職員日本人責任者研修のため来園
- 3月
- 田島園長中国訪問、牡丹江市三語幼稚園に招待され、中国国営放送テレビで講話「21世紀に期待される子どもたちを育てるために」を行い放映される
- 4月
- 通園バスが新しくなる
- 7月
- 1階園児用全トイレを洋式化する
- 12月
- 園庭南側に非常時通用門を設置
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2004平成16年
- 2月
- 近隣中学生スリーデイワークのため来園
浦和大里小ワクワクフェスタ参加
- 4月
- 正門が新しくなる
- 12月
- 隣地を購入
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2005平成17年
- 1月
- 文部科学省の平成16年度教育改革推進モデル事業に選ばれ、補助金をいただいてたてわり保育の研究・実践を行う
- 4月
- 新園舎建築着工
- 10月16日
- 創立50周年記念
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2007平成19年
- 5月
- 文部科学省教育改革推進モデル事業研究「一人一人の幼児に社会性、自己表現力を豊かにする適正少人数クラスの有効性に関する研究」を行う
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2008平成20年
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2009平成21年
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2010平成22年
- 2月19日
- 別所小学校金管バンド演奏会実施
- 4月
- 武蔵浦和駅第1街区第一種市街地再開発事業に伴う幼稚園移転計画による新園舎基礎設計の打ち合わせ開始
登降園時に警備員を配置
わくわく科学教室開始
- 7月9日
- 園庭遊具新設(エアプレーン)
- 9月
- 登降園時に警備員を配置
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2011平成23年
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2012平成24年
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2013平成25年
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2014平成26年
- 3月4日
- 上棟式
- 6月21日
- 新園舎施主検査
- 6月25日
- 新園舎引き渡し
- 6月28~29日
- 新園舎へ引越し
- 6月30日
- 新園舎にて保育開始
園庭遊具の新設(コスモコロニー・新幹線)
- 8月28日
- 新園舎落成式
地元のお母さんたちの手で建てた手作りの「別所幼稚園」
学校法人別所幼稚園 種村キヌ初代理事長のお話
(平成7年地元情報誌の談話より)
故種村キヌ初代理事長は、明治39年生まれで、別所3・4丁目自治会長も務めた方です。昭和27年の「子供を護る会」発足当時から、現在の幼稚園をつくるまで先頭に立ち40年間、幼稚園経営に情熱を注いでこられました。
“別所幼稚園は六大学から始まった”と言えるでしょう。「子供の家」を建てたい!と私たち「別所子供を護る会」の親が企画して、埼玉会館で六大学の音楽会を開催しました。昭和29年頃ですね。六大学って、あの野球の早稲田、慶応、明治、法政、立教、東大の学生さんたちですよ。
切符は、その頃だから50円だったと思います。とに角、埼玉会館を満杯にしたい―と、私たちは夢中になると何もわからなくなる方ですから、川越や大宮の高等女学校に、女学校という女学校を回り歩いて、音楽会の切符を売り歩いて800校ぐらい売りました。
別所1丁目の人で、もう亡くなりましたが、山岡太郎さんがおん大将で一切のことを取り仕切ってくださってね。理事さんたちは、自分のお友達に売るぐらいで20枚か30枚、私は学校の生徒が買ってくれましたからね。全部で千数百枚売れました。
理事さんたちも一生懸命でね。暖房が無いから火鉢を持ち込んでね。みんなの手作りの五目御飯を学生さんたちが、「お袋の手作りの味だ」って喜んでくれました。
とに角10万円集まって、その頃だからそれで建築資金の一部はできたんですね。土地の方は、私の家の前の関口高範さんから借りたんです。戦争中、関口高範さんが兵隊に行かれて、そのあとお母さんと姉さんの二人だけで毎日田んぼに行っていて留守になる。そこへ、どういうわけか、女の子を関口家が預かったんです。―出征兵士の家は大事にしなくてはいけない―と言うので、私がその子を預かって、家の子と同じにお風呂に入れ、食事をさせて面倒をみました。
そんな事があって、その関口家のおばあちゃんが、「種村さんには土地は欲しいだけ使ってもらう」と言ってくれました。子供のために貸しましょう― ということで、近くの通りに面した方を429m²ほど借りました。
昭和30年六月に「子供の家」が完成しました。10月には「別所幼稚園」として認可を受け、社会福祉協議会の会長をしていた世木康夫さんに初代理事長をお願いしました。下山懋先生に初代園長を頼み、園歌まで作っていただいたのです。
歴代理事長
子供を護る会 |
理事長 |
故 山岡太郎 |
社団法人 |
初代理事長 |
故 世木康夫 |
2代理事長 |
故 吉成孝蔵 |
3代理事長 |
故 種村キヌ |
学校法人 |
初代理事長 |
故 種村キヌ |
2代理事長(現理事長) |
和田兵樹 |
歴代園長
初代園長 |
故 下山懋 |
2代園長 |
山崎祐治 |
3代園長 |
故 大西サク |
4代園長 |
高山昭次郎 |
5代園長(現園長) |
田島道子 |